北海道旅行感想&まとめ

北海道マップ 旅行記

北海道から帰ってきて、貯まっていた仕事をしていたらいつの間にか一週間がたってしまいました。島にいると時間の流れが速いです。

今回の旅行は日本だったので、ブログの更新をしながら旅をしていました。ローカル電車に長時間乗っていたおかげで更新する時間も多く取れたし、森を見ながら考え事をしたりできました。

投稿した記事まとめ

この旅行中に上げた記事は以下の通りです。

https://kinoshitashota.com/top/archives/2400
https://kinoshitashota.com/top/archives/2405
https://kinoshitashota.com/top/archives/2425
https://kinoshitashota.com/top/archives/2461
https://kinoshitashota.com/top/archives/2463
https://kinoshitashota.com/top/archives/2468
https://kinoshitashota.com/top/archives/2470
https://kinoshitashota.com/top/archives/2475
https://kinoshitashota.com/top/archives/2549
https://kinoshitashota.com/top/archives/2553
https://kinoshitashota.com/top/archives/2557
https://kinoshitashota.com/top/archives/2559
https://kinoshitashota.com/top/archives/2564
https://kinoshitashota.com/top/archives/2599
https://kinoshitashota.com/top/archives/2608
https://kinoshitashota.com/top/archives/2631
https://kinoshitashota.com/top/archives/2671
https://kinoshitashota.com/top/archives/2673

 

全行程

北海道マップ

回り方としては、

舞鶴から小樽への船の中で一泊、

小樽に船について一泊、

帯広に移動して競馬みて一泊、

釧路湿原見て川湯温泉行って周辺で一泊、

知床半島へ行って一泊、

旭川へ移動して一泊、

旭川博物館や動物園を見てもう一泊、

旭岳に行って東川町で一泊、

の全部で8泊9日の旅でした。

函館や稚内も行っていたら絶対一週間では足りないと思います。北海道広すぎ。

 

ヒッチハイクについて

あ、ちなみにヒッチハイクはできませんでした。1回だけ挑戦しましたが、「1時間待てばバスが来るからどっちでもいい」くらいのスタンスでやっていたので本気度が足りなかったのでしょうか…。笑

というか、時間が限られていて回りたいところがいっぱいあるのでロスが惜しいというのと、帰りの飛行機の時間が決まっているというのと、意外と電車とバスでほとんど行けるというのでヒッチハイクの必要性が無かったです。

今回は行きませんでしたが、牧場とかへ行きたいと思った時にヒッチハイクをするとなると、そこまで行く車が少なすぎて成功率が低いんじゃないでしょうか…まぁこれに関してはやってないのでわかりません。時間に余裕のある方に検証を任せます。

どうしてもお金と時間を天秤にかけた時に時間の方が惜しく感じてしまうような歳になったことを実感しました。昔は1000円ケチるために1時間歩くとか余裕でしたけどね。今では全然払えます。特に旅行先では。

 

考えたこと、気づいたこと

ここからは随筆です。

北海道で思ったことは、自分が野生動物をかなり好きだということです。北海道に限らず、野良犬や野良猫、イノシシとかリス、シカ、野鳥などの野生動物に出会うと心がほっこりする自分でしたが、北海道の山を見て、森を見て、遭遇することを強く望む自分がいました。動物園に行って、オリの中にいる動物を見るのとはまた別の、野生で出会った時のあの一対一の感じがとても好きです。今回は野生の熊には会えませんでしたが、野生の熊と遭遇して刹那の中に永遠を感じてみたかったという気持ちもあります。そんな野生動物が人間の手によってどんどん減ってきている現状は良くないと思いますし、どうにかして守りたい。でも人生をかけるほどでもない。だからそういったことをライフワークとしている方の応援を(心のどこかで)しようと思いました。適当な奴ですね。

自然を自然のままにすること。これは野生動物の話と関係していますが、知床では1914年に始まった開拓から森の木々は切り倒され…という話を知床で聞いて(詳しくはしれとこ100平方メートル運動で検索)、これって知床に限った話じゃないと思いました。知床は今でこそ世界自然遺産になっていますが、たまたま山が開拓されずに残って、そこに野生動物がいっぱいいて、よかったねという感じなのですが、むかーしむかしまでさかのぼれば、日本、いや世界のどこでもがその状態であって、それを人類が壊していった。それが人類の歴史です。

例えば、増えすぎたエゾシカは木の皮を食べて、木を大量に枯れさせています。これは森にとっては害獣です。このまま放っておけばエゾシカは増え続け森は無くなったりするんでしょうか。エゾシカはもともとオオカミに食べられて数が増えすぎないように抑えられていましたが、オオカミが全滅したせいでエゾシカの数が増えすぎて害獣と呼ばれるようになってしまいました。

これを地球対人間にして考えてみるとどうでしょう。増えすぎた人間は地球の資源を使えるだけ使って繁殖しています。そして人間を襲う動物はいません。病原菌やウイルス、自然災害だけが人間の生命を脅かす要因ですが、人類はそれを乗り越えることが今のところできています。そのおかげでどんどん人類は増えています。そして増えすぎたせいで地球の資源は無くなったり汚染されたりしています。僕はいつも公害やゴミの埋め立てやマイクロプラスチック問題などの話を聞いた時に思うんです。人間は地球にとっての害獣だと。地球視点で考えたら「うわうわ、最近人間めっちゃ増えて来てるし、なんか環境に悪い建物とかいっぱい建ててるし、せや、地震で潰したろ!」「一発かましたったらだいぶ減ったな、よしよし」「あ、また最近増えてきてるな、また地震起こしたろ」「なんやこいつらの建物ガチガチに強くなってるやんけ!全然壊れへん。どうしたらええんや」みたいなことを地球さんが思っていてもおかしくはないと思うんです。ま、人間が環境に悪いことをする前から災害はあったでしょうから、災害と人間の悪行には何の繋がりもないと思いますが、いつ地割れが起きてそこに飲み込まれてもおかしくないぐらいの悪行をしているなぁという自覚は一応僕にはあります。環境に悪いことをしたという罪で裁かれるとしたなら、少なくとも僕よりも先に地割れに飲み込まれるべき人はたくさんいるとも思いますが…笑。というか、きれいな海を楽しみにくる観光客が来るような場所でさえ、そこに住んでいる人が平気で海にタバコをポイ捨てする世の中ですから、自分に直接関係がなさそうなことに関して何の関心もないという動物の性がそこに現れているというか、ポイ捨てをする人は思考回路がサルと同じなのかなーとか思ったり、サルが捨てるバナナの皮は自然に帰るけど、人間が捨てるジュースの容器は自然に帰らないというのがこれまた問題なんですよね。はぁ。ゴミは拾わなくてもいいけど、せめて捨てないでおこう。誰も捨てなければ、そもそも誰も拾う必要なんてないのだから。

今回一番感動したのは知床五胡の木の橋から雄大な知床連山を見た時です。なんというか、ものすごく自然を感じました。ん、この表現は適切じゃないかもしれない。自然を感じるというか、美しかった。というべきか。ずっと眺めていたいとさえ思える景色にうっとりしていました。山を前にして自分のちっぽけさを感じられるというか、この絵を借景にしてゆっくりコーヒーでも飲みたいと思いました。山の景色はいいですね。またいつか日本のアルプスに登りたい。

北海道のローカル電車の旅の中で、色々なことを考え…たかったのですが、うまく整理できていません。というのも、動いている乗り物の中でメモを書いたりパソコンをするのは、気分が悪くなってしまうのでうまくいかないのです。行きに乗った船でもそうでした。思考を整理するなら、暑くも寒くもなく、風が強く吹いてなく、まぶしくも暗くもない、いい香りが漂う空間でしたいと思いました。そんな思考を整理するためだけの部屋を東京に作ったら流行るんじゃないかと思ったぐらいです。たまには一人で深く集中して考え事をしたい時ってありますよね。誰にも邪魔されることのない場所で。スマホの音も消して、誰かにドアを開けられる心配もなく、窓からクサイ臭いが入ってくることもないような空間があればなぁ。

今回考えたことの主な内容は将来についてでした。そこで思ったことは、自分がイメージする幸せな人生を実現するためにお金が必要で、そのお金を稼ぐために働く必要があるという順番についてです。一番重要なのは幸せで、お金ではない。これをわかっているかどうかで人生って大きく変わると思うんです。気づいてない人は早く気付いたほうがいい。あなたは何のために働いているんですか、と聞かれた時に、お金です、と答えるのではなく、幸せです。と答えられるのがベストだと思いませんか。もちろんそれが意味するのはお金が不要ということではなく、順序の問題なのです。幸せになるためのお金を稼ぐために仕事をしています。と言えるべきなのです。人間全員が。もうお金をたくさん持っていて、幸せな生活を送るためにお金を稼ぐ必要がない人は、働く必要がないということです。でもお金を稼ぐ必要がなくなった時間を今度は何に使うか考えるでしょう。その答えは、幸せな生活を送るために働くということです。矛盾しているようですが、この働くというのはお金のためではなく、(対価としてお金を受け取ることはあっても)自分の幸せのためなのです。例えば、十分にお金を持っていて自分は十分幸せであると感じるような生活を送っているAさんの住んでいる町の子供が十分な教育を受けらておらず、皆社会のはぐれ者になるような道しかないような状況に置かれていたとして、そのAさんがそのことを気にかけていて、子供たちの未来を明るいものにしたいと考えたならば、Aさん自身が先生となってお金を受け取らずに町の子供たちに教育をしたり、または私財を使って先生を呼んで教えさせたりすることができるでしょう。自分が十分満たされていれば自然と外に目が向いて、他人の幸せを考えるようになる…と僕は考えるのですが、実際そうでないように見える人がいるのも事実です。どれだけお金を稼いでもまだ足りないもっと欲しいと考える人。これはもうお金に取りつかれています。お金を稼ぐ前に、自分で自分の人生に必要なお金を計算せずにお金を手にしてしまったばかりに、どれだけお金があれば自分が幸せと感じられるのかわからなくなってしまったのです。そのため、お金を失うことが怖くなって、結局どれだけお金を持っても満たされないまま死ぬまで生きていくのです。そこまでの大金を稼いだことがないから言えるようなことなのかもしれませんが、それもそんなにお金持ちではない一般家庭に生まれたからこそ思えたこと。僕はこれから先お金をどれだけ稼いだら幸せに暮らせるのかを決めて、それ以上稼いだときは他の人の幸せになるようにお金を使いたい。まぁこれも稼いでから言えとか、お金を持ったら変わるとかいう意見もあるでしょうし、自分で言っていて本当にそうするかどうか疑うような部分もありますが、今のところお金に関してはこんな感じの考え方です。そして、自分の思う幸せな生活というのは、その時々によって変化するものだと思います。いい映画を見たとき、友達の話を聞いた時、街中の夫婦を見た時など色んな瞬間に考え方が変わる要素が紛れています。あと、仕事についての考えですが、目標額を稼ぐ時の仕事内容もなんでもいいってものではありません。精神的にきついけど儲かる仕事で稼いだお金で、仕事をしている時以外の時間を幸せに暮らすというのははたして本当に幸せなのか、いや違うでしょう。ならば、自分がやっていて幸せを感じることができる仕事で、さらにお金もちゃんと稼げるようにしないといけません。そこでやっと努力がでてくると思います。自分の好きな働き方でお金を稼ぐ=やりたいことなので、それが見つかったらあとはやりたいことをやるためにはどうすればいいかを考えて、努力をする。その努力は勉強かもしれないし、筋トレかもしれないし、笑顔の練習かもしれない。そしてその努力を続けることはたいてい困難です。人はどうしてもサボってしまう。北海道の時点で勉強しようと決心した僕の心はくじかれ、ネットフリックスで全裸監督を連続で視聴し、ドラクエ11Sにどっぷりハマるという醜態をさらしています。来週にはTOEICの模試をまたやらないといけないのに。笑

目標は短期と長期に分けて考えたほうがいいですね。短期目標は自分のケツをたたくためにどうしても必要です。あと、努力を妨げるものをスッパリときる必要もあります。ただ、誘惑に負けて一生消費者として生活するような堕落した人生ももしかしたらいいのかも、とか堕落モードに入っている時は考えたりしてしまいます。それほどまでに自分で自分のケツをたたくのは難しいということですね。さて、英語の勉強に戻るとします。では。

コメント