因島を去ることになったので、因島での3年間を振り返ります。

因島大橋 考えたこと

いきなりですが、因島を去ることになりました。

社長との話

4月16日に社長から話がありました。

因島に来てちょうど3年が経ったこと、将来僕がやりたいことはどんなことか、会社の中の僕のポジション、などについてでした。

その中で、「島に来たばかりの時には持っていたはずの僕の”勢い”が無くなっている」という話になりました。

そしてそれは僕も同じことを考えていました。特に、自分のやりたいことってなんだろうと考えることが最近増えていました。

きっかけは、ここ最近新しく入ってきた社員の皆がやりたいことに向かって全力でがんばっている姿を見たからだと思います。

皆が口々にあれやりたい、これやりたい、面白そう!ワクワクする!そう言うたびに、自分の中のワクワクはどこへ・・・?と考えてしまう自分がいました。

一体いつから自分の”勢い”がなくなってしまったのか、自分でも本当にわかりません。

気がついたら、自分がこの島で何をしたいのか、全くわからなくなっていました。

おそらく、コロナの始まった時期、去年の4月頃ぐらいからだと思うのですが、、その時(会社とは関係ないところの)人間関係でちょっと鬱っぽかったので。

その人間関係問題も6月ごろには解決したのですが、自分で思ってるより心にダメージが入っていたようで、去年の下半期はテンションが上がらず、今に至るという感じでしょうか。

そんな様子を隣で社長も見ていたので、やっぱり気づかれていたんでしょうね。

社長からは、一度会社を辞めて、因島も出て、自分でできるところまでやってみたら、と提案されました。木下くんならできる、と。

因島に来て丸3年。確かにこれは良い機会かもしれない、と思いました。

そして、「わかりました。因島を出ます。」と社長に伝えたのでした。決断の早さは僕の長所ですね、本当に。

4月16日は僕が因島に来た日でもあり、社長の誕生日でもありますが、因島を去ることが決まった日にもなりました。

因島でやってきたことを振り返る

この3年間、一体僕は何ができて、何ができなかったのか、振り返ることで次に自分のすることを考えたいと思います。

2018年

・車を買った

・転職

・因島への移住

・尾道市の若者チャレンジ講座に参加した

・小型移動式クレーン、小型車両系建設機械、玉掛けの資格を取得した

・海の家の運営をした

・ポートランドへ旅行した

因島に来て8ヶ月ほど経過した2019年の1月の記事では、自分はアートディレクターの能力を身につけるために、デザインの勉強をすると言ってました。

カメラマン、ライター、グラフィックデザイナー、ウェブデザイナーの能力を〜とか言っていましたが、全部さらっと触っただけで、何一つスキルとして身についていません

今思えばこのうち、どれか一つでも”このスキルを極めて生きる!”と決心して打ち込んでいれば、今頃はそのスキルでご飯を食べられるぐらいになっていたんでしょうね。社長に言えば、いくらでも師匠にするべき人を紹介してくれただろうし、あとは僕が覚悟するだけだったんです。

この時は因島に来て1年目で、やること全部が初めてのことばかりだったので、それでいいやと思ってしまっていたんでしょうね。

今、この文章を書きながら、ここが分岐点だったのか…と強く感じています。

2019年

・クラウドファンディングで土砂崩れの被害にあった寺を助けるための資金調達をした

・空き家をDIYで改修して、そこに住み始めた

・ゲストハウス(民泊)の運営を始めた

・キューバ、バハマへ旅行した

・因島移住フェスを開催した

・尾道市の若者チャレンジ講座にOBとして参加した

・海の家を運営した(2回目)

・北海道旅行をした

2019年は因島2年目の年。去年の知識を生かし、色々上手くやってやる!と思っていましたが、結局成し遂げたな〜と思えるようなことはほとんどありませんでした。

「会社で何をしているの?」と質問された時に「色々!」と答えていましたが、今思えば、この1年、スキルをちゃんと磨いておけば、「これ!」と言えたんですね。「色々!」というのは結局誰にでもできるような小間使いの雑用でしかなかったんです。(それは言い過ぎか、、でもそんな感じですかね。)

2020年

・2019年にできた友達と、しまなみ海道を世界に紹介するYoutube動画をアップロードした

・広島県庁と、広島県への移住をサポートする仕事をした

・日本財団の補助事業、渚の交番SEABRIDGEについて企画、設計の手伝い、申請など色々した

2020年の前半は、Youtubeをやり始めたのもあり、結構楽しく過ごしていました。

会社とは関係の無いところで、自分だけで考えてやれることだったので勉強になることも色々ありました。

しかし、コンセプトが「世界の人にしまなみ海道のことを紹介する」だったので、コロナで撃沈しました。動画10本目ぐらいまでは撮ってたんですが、そのあたりに4月の緊急事態宣言がでたりして、メンバーのモチベーションが保てなくなり空中分解しました。

Youtubeは、これをしたら確実に儲かると思ってやっていたわけではなく、動画編集スキルの向上、観光案内スキル、英語力、企画力、などを身につける過程としてやり始めたことだったので、続いてさえいれば、何かしら違う未来があったのかもしれません。

2020年で一番仕事をしたと思うのは、渚の交番SEABRIDGEについてだと思います。

まだWEBサイトができていないのですが、そのうちグーグルで検索すれば出てくるようになると思います。

建物のコンセプトや設計の草案、事業内容、収支計算など、これを作るうえで必要なことについて大体は関わったので、一つの建物、事業ができるまでの一部始終を見ることができました。

その中で、確実に全てを自分の責任で、自分で決めたいという思いが芽生えていました。

しかし、それをするには経験も実績も無いのが現状です。

逆にそれができる社長は、これまでに一体どんなことを積み重ねてきたのか

そこがこの因島に3年間いて僕が学んだ一番大切なことだと思います。

ずっと隣で見てきたので、かなり学べていると思います。

自分がやりたいことをやりたいようにやるには、実績が必要だということ。

その実績を作るために何をするべきかを考えること。

そして、新しく入ってきた社員から学んだことは、スキルを一つでもピンピンに尖らせておけば生きていけるということ。

僕は、一つのスキルを尖らせると、それ以外ができなくなると思って躊躇していました。

でも現実は逆だったんです。

ピンピンに尖った一つのスキルがあるからこそ、他にもやりたいことができるようになるみたいです。

なので、僕はスキルを尖らせる修行に出ることにします。

現段階では、プログラミング…pythonを勉強し、ウェブアプリケーションやAI技術を使えるようになろうかと考えています。

そしてそれを学ぶのに良い環境、地域に移住しようと思っています。

今のところ、福岡市が筆頭候補です。IT企業の誘致が盛んだったり、エンジニアが集まるカフェがあったりするからです。

東京、大阪はコロナの状況が日を追うごとに厳しくなっているので、気が向かないというのもあります。

おわりに

改めて今までしてきたことを振り返ってみると、やはり今このタイミングで因島を離れるのは正解だと思えました。

因島にきたきっかけも、因島を出ていくきっかけもくれた社長には本当に感謝しています。

因島を出ても、因島が僕にとって第二の故郷であることは変わりません。

また力をつけて、いつか因島に貢献したいと思います。

 

今のところ、6月15日にプラスを退社し、8月末に因島を出ることが決まっています。

そのタイムラグは何かというと、辞めると決める前に一つ、一部の社員だけ集めて副業的に事業をしようという話をしていまして、そのケリがつくのが夏の終わりなんです。

なので、もう少しだけ因島にいます。

残り短い期間ですが、因島、尾道市のみなさん、よろしくお願いします。

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